無題小説1

薄暗い部屋の中、煙草の煙がゆらゆらと揺れていた。安アパートの一室は、まるで時間が止まったかのように静まり返っている。床には食べ終えたカップ麺の容器や空き缶が散乱し、窓際の小さなテーブルには灰皿が置かれていた。その中には吸い殻が山のように積み上がっている。

男はそのテーブルの前に腰を下ろし、煙草を一本手に取った。火をつけ、深く吸い込む。煙が肺を満たし、次の瞬間に吐き出される白い煙が天井近くで薄れていく。彼は無造作に缶ビールを掴み、一口飲む。ぬるくなったビールの味に顔をしかめることもなく、ただ飲み干した。

部屋の扉が開く音がした。女が帰ってきたのだ。手にはスーパーの袋を提げている。袋の中から見えるのは、安売りのカップ麺と菓子パン、そして数本のペットボトルだけだ。

「ただいま」と、女が小さな声で言う。
男は振り返りもせず、「おかえり」と短く返した。それ以上の会話はない。女は部屋の隅に袋を置き、その場にしゃがみ込む。肩が少し震えているのが見えるが、男は気づかないふりをする。

「今日も安かったよ。これでしばらく大丈夫」と女が呟くように言った。
男は煙草を灰皿に押し付けながら、「そうか」とだけ返す。彼女の声には疲れが滲んでいたが、それに気を留める様子はなかった。


部屋の空気は常に重い。2人が住み始めた当初からそうだった。出会いは偶然だったが、どちらかといえば必然に近いものだったのかもしれない。
女は男を見つけたとき、救われるような気がした。自分と同じように、何かが壊れている人間だと直感的に分かったからだ。
男もまた、女を必要だと感じた。ただし、それは愛情からではなかった。むしろ、彼女の弱さに安堵を覚えたのだ。自分よりも弱い存在がそばにいることで、自分が少しだけ強くなったような気がする。そんな関係だった。


「なあ」と、男が急に声を上げた。
女は顔を上げる。「何?」
「お前、ちゃんと食ってるのか?」
「食べてるよ。今日もバイト先でおにぎり食べたし」
男は煙草を口にくわえたまま女を見下ろす。「それだけか?」
「うん。でも平気だよ」
男は軽く舌打ちをしながら目をそらした。「平気じゃねえだろ。お前、最近痩せたんじゃないか?」
女はかすかに笑った。「そうかな。でも、これくらいがちょうどいいよ」
男はそれ以上何も言わなかった。彼の言葉には関心の色があったわけではない。ただ、彼女が倒れたら自分が困る。それだけの理由だった。


夜が更けるにつれ、部屋はさらに静寂に包まれた。テレビはつけっぱなしだが、誰も画面を見ていない。ニュースキャスターの声がただ背景音として流れている。

女は小さな声で言った。「ねえ、私たちって、これでいいのかな?」
男は煙草を灰皿に押し付け、面倒くさそうに答える。「何が?」
「こうやって暮らしてること。私、あなたの役に立ってる?」
「役に立つとか立たないとか、そういうんじゃねえだろ」
「でも、私がいなかったら、あなたはもっと楽に暮らせるんじゃない?」
男は一瞬黙り込んだ。煙草の箱を手に取り、新しい一本を取り出す。「お前、何言ってんだよ。俺が誰かと一緒にいるのは、それが楽だからだと思ってんのか?」
女は答えない。ただ、膝を抱えて小さくなっている。男はその姿を見て、ため息をついた。「お前しか俺にはいないんだよ。それでいいだろ」
その言葉を聞いた女の顔に、一瞬だけ安堵の色が浮かんだ。しかし、それはすぐに消え、また不安げな表情に戻る。


深夜、女が寝た後も、男は眠らなかった。ベランダに出て、煙草を吸いながら外の景色を眺める。隣の部屋からは夫婦の喧嘩の声が聞こえてくる。怒声や泣き声が混じり、夜の静けさを切り裂いている。

男はそれを聞きながら、無意識に微笑んだ。自分たちはあんなふうにはならない、と。
しかし、その微笑みはすぐに消えた。自分たちは既に壊れている。違う形で壊れているだけだ。
煙草を最後まで吸い切り、火を消した後、男は部屋に戻る。女の寝顔を一瞥し、何も言わずに布団に入った。

彼は目を閉じたが、眠りは訪れなかった。頭の中には女の言葉が響いていた。
「私たちって、これでいいのかな?」
その問いに答えられる日は来ないだろう。答えを出す必要があるとも思っていなかった。ただ、彼女がそばにいれば、それでよかった。それ以外に何も求めていなかった。

部屋の中には、静寂と煙草の匂いだけが残った。