「コーヒーミル頭の男」- 03

 翌日から突然、驚くほど客足が増え始めた。昼に店を開けた直後から客が出入りし、これまでにない忙しさに私自身も驚いていた。少女は日が昇るとふらりと店を出て、何処かへ出かけていく。だが昼になると、決まって戻ってきて接客を手伝い始める。客が落ち着いて店が静かになると、また夕方までふらりと姿を消す。何か特別な用があるわけでもなさそうだが、気ままなその行動に私はただ見送るばかりだった。

 ある日の夕食時、私は少女に尋ねた。
「お前が来てからやたらと客足が増えたんだが、どういうことだ?」
手を止めずに食事を進めながらそう聞くと、少女はいたずらっぽく微笑んで答えた。
「そりゃあ、”これまでに飲んだことのないような美味いコーヒーを淹れる男がいる”って宣伝して回ってるんだ。実際、君の淹れるコーヒーは絶品だからな。もっと自信を持っていい。」
その言葉を聞いた瞬間、驚きと共に少し気恥ずかしい感情が胸に広がった。

 褒められることに慣れていないせいか、つい顔が熱くなったが、心の中ではどこか嬉しい気持ちも湧いてきた。思えば、誰かとこうして食卓を囲むのは、久しぶりのことだ。忘れかけていた温もりが、胸の中にじんわりと広がっていくのを感じた。

 ある日、いつものように店を開けていると、例の新しい担当医がやってきた。彼女は医師でありながら白衣など着ているわけではなく、普通の一般人のようなカジュアルな服装をしていた。病院からわざわざ出張してきたのだという。車から降り立つと、私に気づいた彼女は丁寧にお辞儀をし、柔らかな笑顔を見せた。その姿は、これまでの担当医たちとはどこか違っていて、初対面にもかかわらず親しみやすさを感じさせるものだった。

 医師とは短い会話を交わした。特に深刻な話もなく非常にあっさりとしたもので、私は彼女の話に適当に相槌を打つだけだった。やがて、医師は少し肩を落としながら息を吐き、
「病状も落ち着いているようですし、今のところは薬を飲みながら経過観察で充分でしょう。また何かあったらご連絡ください。」
と穏やかに告げ、机の上に数ヶ月分の薬を置いていった。その動作も流れるようにスムーズで、慣れた手つきだった。

 医師を見送りながら、ふと疑問が頭をよぎった。自分は一体、何の病を患っているのだろう?これまで具体的な病名が告げられたことはなかったし、今日の会話を振り返っても特に異常があるわけではないようだ。薬のことや診察のことは当然のように進んでいるのに、その根本がどうしても分からない。青空が広がる今日も、まるでいつもの日常の延長に過ぎないように見える。私はそんな疑問を抱えたまま、ゆっくりと店内に戻っていった。

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