「コーヒーミル頭の男」- 02

 幼い頃、私にとって”淑女”と呼べる存在はただ一人、幼なじみの彼女だけだった。彼女はいつも明るく笑い、気品のある振る舞いを身に着けていた。私たちは毎日のように近所の巨大な花園で、日が暮れるまで遊んでいた。揺れる花々の中にいる彼女は、まるでその一部であるかのように美しく、まぶしい存在だった。花の香りに包まれたその風景が、私の記憶には鮮やかに残っている。彼女の笑顔が揺れる花々と重なって、いつも特別なものに感じていたのだ。

 しかし、いつの頃からか、彼女とはぱったりと会うことがなくなった。それがいつからだったのか、何が原因だったのか、その記憶はまるで霧がかかったように曖昧だ。気づけば彼女は私のそばから姿を消していて、私はただその事実を受け入れるしかなかった。なぜだろう。なぜ私は彼女との時間を失ったのか。少し考えれば思い出せそうな気もするのに、その手がかりは指先で掴めそうで掴めない。思い出に焦点を合わせようとするたびに、心に靄が広がるばかりだった。

 不意に、少女が私に話しかけてきた。
「旅の果てに着いたはいいが、寝泊まりする場所がなくてね。もしよければ、この店に泊めてはもらえないかな?」
その問いに、私は少し考え込んだ。働き手が増えるのは店にとって悪いことではないし、子ども1人程度、大した手間にはならないだろう。
「構わないよ。使っていない客室があるから、そこで好きに過ごすといい。」
そう答えると、少女は軽く会釈し、丁寧に感謝の言葉を述べた。私はその背を見送りながら、彼女の姿が今でも消えない幼なじみの影とどこか重なっているように思えてならなかった。

 夜が訪れ、久しぶりに誰かと一緒に夕食を取った後、少女は静かに寝床に向かった。彼女の足音が消えると、店内には再び静寂が広がる。私はランタンに火を灯し、その柔らかな光をカウンターに置いた。揺れる明かりの横に座り、カウンターに寄りかかる。疲労感が全身に広がり、何も考えずただぼんやりと、店内の静けさに耳を傾けていた。

 ふと思い出し、私は薬を取り出した。いつからだっただろうか。どうしてその薬を飲み始めたのかも、もうはっきりと思い出せない。ただ、これを飲むと少しだけ気が楽になるような気がしている。それだけを頼りに、毎日続けている習慣のようなものだ。冷たい水と一緒に薬を飲み干し、ガラスのコップを静かにカウンターに置く。その音が、静まり返った店内に響いた。

 ぼんやりとした頭で、近々担当医が変わるという話を思い出した。だが、それ以上を考える気力もなく、その事実も他人事のように思えてくる。目の前のランタンの炎を見つめ、その揺らめきに心を委ねていると、瞼が重くなり始めた。ランタンの炎を指先でそっと吹き消し、暗闇に包まれたままカウンターに突っ伏す。夜の静けさの中でただじっと、朝が来るのを待った。

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