④
次第に、心は再び暗闇に引き戻されていった。彼が姿を消してからというもの、不安と絶望がひたすらに私を蝕む。夜になると、あの力強い手が私を抑えつける感触が蘇る。耳には嘲笑が響き、身体に刻まれる傷の痛みが、暴力が、屈辱が、心をさらに深くえぐる。壊れた人形のように力なく床に倒れこみ、ただ静かに震えながら夜を明かすしかない。怖い。苦しい。彼に会いたい。ただ、彼の優しい声を聞きたい。その笑顔をもう一度見たい。それだけで、どれほど救われるだろう。
けれども、花園に足を運んでも、そこには静かに揺れる花々があるだけで、彼の面影はどこにも見当たらない。風にそよぐ花たちは、まるで何事もなかったかのように美しく咲き誇っている。けれど、その光景は今の私には冷たく、無情に映った。家に帰れば、またあの地獄が待っている。逃げ場のない日々が続き、心はひび割れ、身体も疲弊し、限界を迎えつつあった。
もう、耐えられない。
救いのない現実に押しつぶされ、私はもう、立ち上がる力さえ失っていた。
その日も、私は花園へ足を運んだ。秋が深まり、冷たい風が花々を揺らしている。どこからか木枯らしが吹きつけ、葉が舞い落ちる。空にはまばらに雲が広がり、やがて日が傾き始めると、空が赤く染まりだした。崖の上に立ち、遠くに見える街をぼんやりと眺める。あの場所にはきっと、私のような人間が足を踏み入れることなど許されないのだろう。まるで私の存在など最初から知らないかのように、日常を続けている。
今日もきっと、彼は来ない。
崖の端に歩みを進め、私は深く息を吸い込む。風が頬を撫で、髪を揺らしていく。これでいいのだ。もう、誰にも傷つけられることはない。もう、あの苦しみに戻る必要はないのだから。私はゆっくりと目を閉じ、静かに後ろを振り返った。
その瞬間――そこに、彼が立っていた。
目を見開き、驚いたような表情を浮かべている。息を切らしながら、こちらに手を伸ばしている。私はただ呆然と彼を見つめるしかなかった。彼の姿は確かに目の前にあった。だけど、それが現実だとは到底思えなかった。
初めて会ったあの日のことが、鮮やかに蘇る。この崖の近くで「危ないよ!」と声をかけられたあの日。彼の手に引かれ、遠くの街を眺めたあの日。あの時と同じように、彼は私に手を差し伸べてくれている。それが絶望の淵にいる私にとって、どれだけ嬉しいことか。
けれど、もう何もかもが手遅れだった。
足元は地面を離れ、身体がぐらりと傾く。冷たい風が全身を包み込み、私は宙に舞う。空が赤く燃えるように染まり、花々が遠ざかっていく。彼の瞳には、言葉にできない悲しみと焦りが浮かんでいた。
――ああ、彼にだけは、見られたくなかったのに!
胸の中で叫ぶような思いが駆け巡る。彼にだけは、この醜い終わりを見せたくなかった。彼が私をどう思っているのかは分からない。でもせめて、彼の記憶の中では、笑顔のままの私でいたかった。
風が唸りを上げる中、私の身体は落ちていく。冷たい空気が肌を刺し、すべてが遠ざかっていく。花園も、彼も、私の小さな希望も。全てが、音もなく消えていくようだった。
ꕤ