あの子の黙示録

私にとって、その花園は唯一無二の心の拠り所。どれほど荒れ果てた日々の中で、どれほど自分を見失いそうになっても、そこだけは私を拒まず、静かに迎え入れてくれる場所だった。
身体を売ることを強要されてからというもの、来る日も来る日も地獄を味わわされる。夜が来るたびに押し寄せる恐怖と屈辱、朝が来ても消えない痛みと孤独。心は粉々に砕け、震えで自然な笑顔一つ作れない。床に捨てられたように横たわり、夢も見られないまま痛みに耐え続ける。怖い。怖い。何もかもが怖い。それだけが心を埋め尽くす。

日が昇った後、街の喧騒が目覚める前の時間帯だけが私に自由を許していた。「母親」と呼ぶべき存在は、その時間にはまだ眠っている。その隙を突き、私は逃げ出した。行くあてなどない。それでも、あの場所から、あの人々から、少しでも遠くへ逃げたかった。誰も私を知らず、誰も私を追わない場所へ。ボロ布を頭に被り、顔を隠しながら街を駆け抜ける。人々の視線が背中に突き刺さるような気がして、足が痛くても、息が切れても、止まることはできなかった。

やがて、ふと顔を上げたとき、目の前に広がる光景に足が止まった。一面に広がる白い花畑。それはまるで夢の中のようで、私の心を一瞬にして奪った。澄み切った青空と花々の純白が織りなす対比の美しさに、息をするのも忘れて立ち尽くす。さらに先へ進むと崖があり、そこからは遠くの街並みが一望できた。あの遠い街に、私の知らない自由があるのだろうかと、ぼんやりと思いを馳せる。

「危ないよ!」

突然背後から聞こえた声に肩を震わせ振り返ると、そこには見知らぬ少年が立っていた。彼は私より少し年上だろうか。慌てたように私の手を引き、乱れた髪に無邪気な笑顔が浮かんでいる。

「ここ、すごくいい景色だよね!」彼はそう言って、遠くを指差した。
「あそこはセントラルって呼ばれてるんだ。お金持ちの人たちが住んでる場所だよ。」
彼は私の汚れた服ややつれた顔には目もくれず、ただ景色について楽しげに話し続けた。その無関心さが、かえって私を驚かせる。

「…あなた、私のこと叩かないの?」
思わず口をついて出た言葉に、彼はきょとんと首をかしげた。「叩く?なんで?」
その無垢な反応に、私は言葉を失った。叩かれることが当たり前だと思っていた自分に気づくと同時、こんなにも自然に、私を人間として見てくれる人がいるのだと、信じられない気持ちだった。

「そうだ!」と突然思いついたように彼は声を上げ、持っていたバッグを開け始めた。

「僕ね、いろいろ食べ物持ってきたんだ。一緒に食べようよ!」

次々と取り出されるパンやハム、チーズにジャム…どれも私には縁遠いものばかりだった。彼は手際よくパンをちぎり、具材をのせて「はい!」と差し出す。
「ご、ごめんなさい…お金、持ってないから…」
と断ろうとする私に、彼はにっこり笑って「いいから!」と押し付けるように渡す。その明るさに押されるように、私は恐る恐るそれを受け取り、口に運んだ。

柔らかいパンの食感と、ハムやチーズの塩気が口いっぱいに広がる。泥に汚れてもいない、腐りもしていないそれは、私がこれまで口にしたどんな食べ物よりも美味しく感じられた。空腹がそうさせたのかもしれない。でもそれ以上に、誰かと一緒に食事をするという経験が、私の心を暖かく満たしていった。

気づけば、涙が頬を伝っていた。彼は慌てた様子で、「な、ど、不味かった?!」と、ギョッとした様子で私を見つめる。私は涙を拭いながら、震える声で言った。
「…ちがうの、すごく、美味しくて…ありがとう」
その言葉を伝えるのが精一杯だった。照れくさそうに揺れる彼の笑顔と、心の奥底に灯った希望が、私の世界を少しだけ明るくした気がした。

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