冬の海沿いを歩くのが好きで、よく訪れる遊歩道がある。海の冷たい匂いと、荒波が打ち寄せる音が心を落ち着かせてくれるのだ。ある寒い朝も、そんな心持ちでいつもの海岸を歩いていた。だがその日は少し様子が違った。遠くの砂浜に、青い髪の少女が倒れているのが見えたのだ。驚いて駆け寄ると、吹き付ける冷たい風の中でその小さな体はかすかに震えている。私は彼女を風の当たらない場所まで引きずっていき、マフラーと上着でぐるぐると包み込んだ。その途端、彼女は突然バッと目を開け、驚くほどの勢いで起き上がった。
「だ、大丈夫…?」と不安混じりに問いかける。彼女はぐるぐる巻きにされたマフラーと上着を無造作に外し、私の方へずいっと詰め寄ってくる。その肌は人間らしい色をしているが、産毛のようなものは見えず代わりに細やかな鱗が光り、まるで魚のようだ。動揺を隠せず、「君は…誰?」と聞くと、彼女はにこりと笑って元気いっぱいに叫んだ。
「レモラはレモラだよ!」
声を張り上げた途端、彼女は目の前で大きなくしゃみをした。唾と海水が顔面いっぱいにかかったが、とりあえず彼女の体を温めるために自販機で買ったばかりの温かいお茶を手渡す。彼女はそれを一気に飲み込み、すぐさま「あっつ~~~い!!!」と叫んで、海に向かって駆け出して行った。冷たい海水で口を濯いだ後、満足げな表情で戻ってきた彼女の姿を見て、思わず「忙しないやつだな…」と呟いてしまう。
彼女の服装はボロボロなうえ夏のような薄手の格好だったので、とりあえず上着を着せて近くのコンビニで食べ物と温かいものを買うことにした。彼女はエビせんべいを大層気に入ったらしく、店を出るなり夢中で頬張り始めた。
「君、人間には見えないけど…?」と率直に尋ねる。彼女は口に詰め込んだエビせんべいをゴクン!と飲み込んで、再び元気よく話し始めた。
「レモラはね!レモラのママが海で泳いでるときにパパと会ってできた子なんだって!だからレモラはママのお腹から生まれたんだよ!」
あまりにプライベートなことを大きな声で語るので周囲から冷たい視線を感じる。一度黙らせ、続きはアパートで聞くことにした。薄々気付いていたが彼女には住むところがないようで、うちに来るかと尋ねると目を輝かせて「行く!」と即答し、私の後についてきた。
ようやく落ち着いたレモラは、その内容とは対称的に明るく自分の生い立ちを話してくれた。どうやら彼女は、人間の母と何か海の生き物とのハーフらしい。生まれてしばらくは陸上で暮らしていたが、それが原因で母親は酷い差別を受け、絶望の果てに彼女を抱いて崖から身を投じたという。母は命を落としたものの、幸い彼女には魚類の遺伝が色濃くあるおかげか難なく生き延びたそうだ。
その後、近海で暮らすようになったが、周囲の魚たちにはやはり奇異の目で見られたらしい。だが、沖の方に住む大型の魚たちは彼女を仲間と認め、餌を分け与えてくれたという。しかし平穏な日々は続かなかった。近くの陸で戦争が起こり、海は化学物質と兵器の破片で汚染され、彼女含め多くの魚たちは住処を失った。彼女はそれから適当に泳ぎ続けた末、先ほどの海岸線に辿り着いたが、あまりの寒さに気絶してしまったのだという。
すべてを話し終えると、彼女はまるで電池が切れたように眠りに落ちた。安らかに眠る彼女の顔は、人魚でも異形の存在でもない、純粋無垢な子供のようだった。彼女をベッドへと運び、そっと毛布をかけてやった。
その日から、私の家にはもう一人の同居人が増えた…のだが。彼女は朝から夕方までずっと風呂場を占拠する。「ねえまだ?風呂に入りたいんだけど」と声をかけても、風呂の中から「レモラ、水に浸かってないと死んじゃうもーん!」と返される。とはいえ、彼女は御伽噺のそれとは違い、普通に足もあるし、呼吸も会話も人間のようにできる。一見人間と同じように見えるが、それでも水が恋しいのだろうか。私はため息をつきつつも、心のどこかで幸福を感じていた。
風呂から上がって床を水浸しにした末、素っ裸でタオルにくるまる彼女にまたもため息をつきながら、「これからどうするの?」と尋ねる。彼女は短く唸ったが、すぐに満面の笑みを浮かべて嬉しそうに答えた。
「レモラ、もっと人間のこといっぱい知りたい!」
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