全てが終わり、消えた過去と失われた記憶の残響に取り残された少女。彼女はまるで行き場をなくした影のように、迷子のようにただ漂い続けている。身なりこそ人間らしいが、その風を切って歩くふわりとした軽やかさと、どこか冷たく澄みきった緑色の瞳は、生身の人間のものとはかけ離れており、むしろ人形にも似た無機質な美しささえ感じさせる。そんな儚げな少女の姿に、レモラは目を奪われずにはいられなかった。隠れようという努力はあれど、まるで蝶を追う子供のように、物影から影へと移りながら夢中でその後を追いかける。
レモラは自他共に認める、生まれながらの自由人だ。彼女の心はいつだって好奇心で膨れ上がり、未知なるものには後先など考えずに手を伸ばさずにはいられない。しかしその奔放さが数々の騒動を巻き起こし、彼女の同居人は半ば呆れながらも忠告を繰り返していた。「目立たないように、余計なことをしないように。」と。だが、レモラがその言葉を守るわけもなく、今日も彼女は本来の用事を忘れ、ただ少女を追いかけていた。
街の入り組んだ路地を少女が行き来するたび、レモラは物陰に身を潜めてついていく。少女はどこかに目的があるようでないようで、彷徨うその姿はひたすら気まぐれだ。時には来た道を戻り、時には長い道をひらりと抜け、まるで心の迷宮を彷徨うかのようだった。レモラが少女を見つけたのは昼の頃だったが、追いかけているうちに気づけば日は傾き、空は茜色に染まり始めていた。
最終的に少女が辿り着いたのは、街の喧騒を離れた静かな花園だった。咲き乱れる花の中を歩き、彼女は街を一望できる崖の上で足を止める。遠くに広がる街を見つめるその姿は、まるで何かを手放すような切なさと、もう戻れぬ過去を見つめるような憂いに満ちていた。
木の後ろに身を潜めたレモラはその様子をじっと見つめる。だが、少女が不意にくるりと振り返り、そんなレモラのいる方を真っ直ぐに見つめた。少女の表情にはどこか呆れたような色が浮かび、透き通る外見とは裏腹に低い声で問いかけた。
「…随分としつこいんだな。何か用でもあるのかね?」
その問いかけに、レモラは身を強張らせ、思わず息を呑む。ちらりと彼女を見ると明らかにこちらを怪しんでいる。観念して木陰から姿を現し、もじもじとしながら口を開いた。
「ごっ、ごめんね…レモラね、あなたとお友だちになりたくて…」
その言葉を受けて、少女は少し目を細めたものの、何も言わず視線を外し、遠くの街へと目を戻した。真っ赤な夕日の影に彼女の輪郭は黒く揺らめき、どこか曖昧で、頼りない。足元に落ちる影も薄く、まるで彼女がこの世界に留まるべきではない存在であるかのような儚さが漂っていた。
二人の間には、冷たく静かな風だけが吹き抜ける。しばらく両者とも言葉を発さず、重い沈黙に包まれた。それに耐えきれなくなったレモラが何か話しかけてみよう、でもどんな話題がいいだろう、好きな食べ物とかかな――などと悩んでいると、少女が微かに口を開いた。
「…私は何のために生まれたんだろうな」
その問いかけはまるで、秋の風に乗ってどこか遠くへ消えていくようだった。レモラはそれに返す言葉が見つからず、その続きに耳を傾ける。黙して聞く相手がいると察したのか、少しの沈黙の後、まるで自らに語りかけるように、ぽつりぽつりと語り始めた。
「…”彼”は、”あの子”にとっての全てだったんだ。暗く荒れた日々の中で、唯一の救いだった。それは逆も然り…尤も、”彼”は無自覚にも周囲の援助を拒み続けていたがね」
「”あの子”は生きるために、自分の身体を売らざるを得なかった。でも、子ども1人じゃ稼げる額なんて知れている。母親はいた記憶があるが…”あの子”を止めなかったのは、そういうことだったんだろうな」
少女はほんの少しだけ顔を上げ、視線を遠くの花々に向けた。彼女の言葉のひとつひとつが、少女の胸の奥底にある暗い池に石を投げ込むように重く沈み込んでいく。
「…”彼”は”あの子”を救えなかったのは自分のせいだと、己を傷つけ続けた。その自責の末に生まれた愚かな幻影こそが…」
その声は徐々に震え出し、少女は苦笑を浮かべた。だが、その微笑みは虚ろであり、どこか冷たかった。
「…まだどちらも子どもだったんだ。それなのに、それに見合わない程の大きな責任を背負い込んでしまった。助けを求めることも許されなかった」
「…馬鹿だよ、”私たち”は、本当に……」
言葉が途切れ、少女は顔を覆い、静かな嗚咽と共に大粒の涙をこぼした。その涙は、”彼ら”が長い間抱えてきた痛みの象徴のように、頬を伝い秋の風に吸い込まれていく。
レモラには難しい言葉の意味は分からなかったが、それでも少女のその姿からひしひしと伝わる哀しみには、心の中で何かが引き裂かれるような感覚を覚える。けれど、レモラにはどうしたらいいのか全く分からなかった。その場に立ち尽くし、ただ、彼女の悲しみが少しでも軽くなればと思うばかりだった。
その時、レモラはふと思い立った。「あのね、」と、少し躊躇しながらも切り出す。顔を上げた少女の頬をぱし、と両手で挟み、無理矢理に目線を合わせた。
「よかったら、レモラたちのおうちに来ない?」
少女は一瞬、戸惑ったように黙った後、「いや、私は…」と何か言いかけたが、その言葉は続かなかった。レモラはその手を引き寄せ、ぐいっと少女を引っ張り颯爽と駆け出し始める。
「あのね!おうちにえびせんべいがあるの!一緒に食べようよ!」
レモラは振り返り、陽気にニッと笑った。少女は目を閉じ、呆れたように微笑みながらも、どこか温かな表情を浮かべる。
「仕方ないなあ」
と、苦笑交じりに微笑むその表情は、ひとしきりの疲れを感じさせるが、どこにでもいるただの無邪気な少女のようだった。
秋の夕暮れ。命の始まりを感じさせる季節ではないけれど、それでも、この季節にも花は咲く。時として、最も冷たい風の中でこそ、最も鮮やかな花が開くのかもしれない。
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